加賀藩の文化を紐解く6つのポイント

[壱]百万石の「一番大名」

 「加賀百万石」と称されますが、加賀藩の実際の石高は119万5000石に上ります。領地は加賀、能登、越中3カ国のほぼ一円に及び、外様(とざま)の雄藩として徳川幕府も常に警戒を怠りませんでした。
 前田家は徳川将軍家とも姻戚関係が深く、2代将軍徳川秀忠の娘・珠(たま)姫が3代当主利常(としつね)に嫁ぐなど、徳川家から多くの正室を迎えました。このため家格も別格扱いで、「御三家並み」に位置づけられ、将軍に拝謁する際は御三家等が控える大廊下詰が許され、松平姓と葵紋の使用も許されています。
 寛永16年(1639)3代当主利常隠居の際に、富山(10万石)、大聖寺(だいしょうじ)(7万石)を分藩したため、加賀藩(金沢藩)は102万5000石(利常養老領含む)となりました。

国持大名石高トップ10

家名 石高 居城
1. 加賀 前田家 102万石 金沢城
2. 薩摩 島津家 77万石 鹿児島城
3. 陸奥 伊達家 63万石 仙台城
4. 肥後 細川家 54万石 熊本城
5. 筑前 黒田家 52万石 福岡城
家名 石高 居城
6. 安芸 浅野家 43万石 広島城
7. 周防 毛利家 37万石 萩城→山口
8. 肥前 鍋島家 36万石 佐賀城
9. 因幡 池田家 33万石 鳥取城
10. 備前 池田家 32万石 岡山城

慶応3年(1867)時点。加藤隆著「近世大名家格制の研究」より

加賀藩の領地変遷

  • 天正9年(1581)利家、能登一国の大名となる。
  • 天正13年(1585)秀吉の越中平定。越中3郡が利長領となる。
  • 文禄4年(1595)利家、越中新川郡を与えられる。
  • 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦。利長、加越能120万石の大大名へ。
  • 寛永16年(1639)利常隠居。富山藩・大聖寺藩成立。