加賀藩の文化を紐解く6つのポイント

[弐] 百万石を築き、守った歴代当主14人

藩祖利家(としいえ)は織田信長の赤母衣衆(あかほろしゅう)(親衛隊)として頭角を表し、天正9年(1581)に能登一国を拝領、豊臣政権では五大老として政権の中枢を担いました。
 2代利長(としなが)は関ヶ原の戦いで東軍方(家康側)として北陸で奮戦し、加賀二郡を加増され120万石の大大名として地位を確固たるものにしました。高岡の町も開いています。
 3代利常は徳川との融和に努め、藩内の統治機構を整備、5代綱紀(つなのり)は今に息づく工芸文化、学問の振興を図りました。7代宗辰(むねとき)以降は早世が相次ぎ、加賀騒動と呼ばれるお家騒動も勃発。最後の藩主14代慶寧(よしやす)は藩政刷新を試み、幕府、西南雄藩とも距離を置く「三州割拠」の独立志向を強めますが、百万石の影響力を十分に発揮できませんでした。

加賀前田家略系図

◆出典
利家:尾山神社所蔵
利長:長光寺本複製・高岡市立博物館所蔵
利常:那谷寺所蔵
花押:「加賀藩史料」編外等より作成